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自営業者・個人事業主の相続が特殊な3つの理由
不動産に関する問題に加え、自営業者・個人事業主の相続には、特有の複雑さが加わります。その理由は、事業と個人の財産が密接に結びついているからです。
1. 事業用資産と個人資産の「境界線」が曖昧
個人事業主の場合、店舗や工場、事業用車両、機械といった事業用不動産や動産はもちろんのこと、事業用の預金口座、さらに売掛金や買掛金、事業のために借り入れた借金まで、事業に関するすべての資産・負債が、個人の遺産として相続の対象となります。
この特性は、事業の継続に大きなリスクをもたらします。もし、事業用不動産が法定相続分に従って複数の相続人によって分割されてしまえば、事業の存続が困難になる可能性があります。また、事業を誰も引き継がない場合でも、故人が営んでいた事業の廃業届を提出するなど、複雑な行政手続きが必要となります。
ご家族が把握していない事業用資産や負債が、相続財産調査の過程で初めて明らかになることも多く、相続手続きそのものが複雑化する要因となります。
2. 目に見えない「負債」が潜むリスク
「会社の借金は会社が返済するものだから、個人が相続することはない」とお考えの方もいらっしゃるかもしれません。原則としてその通りですが、大きな落とし穴があります。故人が会社の借入金の「連帯保証人」になっていた場合、その保証債務は社長個人の債務とみなされ、相続人に引き継がれます。
多くのご家族は、故人が会社の借金を背負っていたことを知らず、相続開始から3ヶ月以内という「熟慮期間」を過ぎてから、債権者からの督促で初めて知るケースが多発しています。この3ヶ月という期間は、莫大な負債を背負うかどうかの選択を決める、非常に重要なタイムリミットです。
万が一、この期間内に負債の存在を知り、相続放棄や限定承認の手続きを終えなければ、被相続人のすべての権利義務を無限に承継する「単純承認」をしたものとみなされてしまいます。この時限爆弾のようなリスクを回避するためには、相続が開始したら、事業に関する負債の有無を速やかに、そして徹底的に調査することが最も重要なステップです。
2-3. 事業承継と「遺留分」のジレンマ
遺言書があれば、後継者に事業用資産をすべて相続させることが可能で、事業の分散を防ぐための最も有効な手段であることは間違いありません。しかし、遺言書があれば万事解決というわけではありません。民法では、兄弟姉妹以外の法定相続人には「遺留分」という、法律で保障された最低限の遺産取得分が定められているからです。
もし、故人が後継者以外の相続人の遺留分を侵害する遺言を残した場合、遺留分を侵害された相続人は「遺留分侵害額請求」を行うことができます。これは、後継者が事業用資産を売却して金銭を支払う事態に陥る可能性があることを意味します。
たとえ故人の意思であっても、事業を確実に守るためには、遺留分に配慮した遺言書を作成するか、「中小企業経営承継円滑化法」のような特例制度を検討するなど、遺言書だけではカバーできない部分への事前対策が非常に重要になります。
事業と家族の未来を守る「3つの事前対策」
不動産や事業資産が絡む相続では、トラブルを未然に防ぎ、家族の未来を守るための「事前の備え」が何よりも大切です。ここでは、特に有効な3つの対策をご紹介します。
1. 事業承継のための「遺言書」作成
遺言書は、事業用資産の分散を防ぎ、故人の意思を確実に後継者に引き継がせるための最も有効な手段です。事業用不動産や預金、株式などを誰に相続させるかを明確に記すことで、後々のトラブルを大きく減らすことができます。
さらに、法的効力を持つ遺言書の本文だけでなく、故人の感謝や家族への想いを綴る「付言事項」を書き添えることをお勧めします。事業用資産が後継者に集中してしまう場合、他のご家族が不満や不公平感を抱くことは少なくありません。なぜこのような分割を望んだのか、他のご家族への感謝の気持ちなどを伝えることで、感情的なわだかまりを和らげ、家族の絆を壊さずに相続を進める効果が期待できます。
2. 相続税を大きく減らす「小規模宅地等の特例」の活用
自営業者の皆様にとって、最も有効な節税対策の一つが「小規模宅地等の特例」です。この制度は、被相続人が事業用に使っていた宅地等について、相続税の評価額を最大80%減額できる、非常に強力な特例です。
この特例には、大きく分けて二つの種類があり、それぞれに減額割合や適用要件が異なります。
- 特定事業用宅地等: 被相続人が事業を営んでいた宅地等で、後継者がその事業を継続する場合などに適用されます。
- 減額割合: 80%
- 限度面積: 400㎡まで
- 貸付事業用宅地等: アパートやマンション、駐車場など、被相続人が賃貸事業を営んでいた宅地等に適用されます。
- 減額割合: 50%
- 限度面積: 200㎡まで
これらの特例は、相続開始時に急いで適用しようとしても要件を満たせない場合があります。特に、貸付事業用宅地等については「相続開始前3年を超えて事業的規模で貸付事業を行っていた」ことなどの要件があり、生前からの計画が不可欠です。
このように複雑な要件があるため、ご自身のケースにどの特例が適用できるか、そしてどのように対策を進めるべきかを正確に判断するには、専門家のサポートが不可欠です。
3-3. 負債対策と事業の「法人化」
個人事業主の場合、事業の資産と個人の資産が混在しているため、相続時に大きな問題となり得ます。この問題の解決策の一つが、個人事業を「法人化」することです。
法人化することで、事業用資産を法人名義に移転させることが可能になります。法人はあくまで個人とは別の人格であるため、事業資産そのものが個人の相続財産から外れることになり、相続税の課税対象を減らす効果が期待できます。
また、法人名義の預金や不動産は、個人の死亡によって口座が凍結されるといった事態が起こりにくく、事業の安定的な継続にもつながります。
しかし、法人化は万能な対策ではありません。法人の設立には登記費用や登録免許税などがかかりますし、設立後も毎年、赤字であっても約7万円の法人住民税を支払う必要があります。また、個人事業主時代よりも会計処理が複雑化し、税理士費用なども発生します。
これらのメリットとデメリットを総合的に比較し、ご自身の事業の規模や資産状況、将来の展望を考慮した上で、最適な方法を判断する必要があります。
安心の未来へ、今できる最初の一歩
相続は、故人の人生を振り返り、残されたご家族が未来へ踏み出すための大切な節目です。特に、不動産や事業用資産が絡む場合、その複雑さからトラブルの種となりがちですが、決して解決できない問題ではありません。
大切なのは、「いつか」ではなく「今」準備を始めることです。
相続は、法的な手続きや税金の問題だけでなく、ご家族の思いや感情が深く関わっています。事前の話し合いや、遺言書の作成、法人化や小規模宅地等の特例といった専門的な対策を通じて、故人の意思を尊重し、ご家族の絆を守るための最善策を講じることができます。
私たちは、単に法的な手続きを代行するだけでなく、皆様の不安に寄り添い、家族の心をつなぐための最善策を一緒に考え、実行をサポートします。相続を「争続」ではなく、家族の絆を深める「機会」に変えるために、まずは、お気軽にご相談ください。